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叶谷のはなし

 むかし昔、この地が高遠(たかとう)の庄今里の郷と呼ばれていた頃、逆面と地境いのことで争いがあったそうです。それを谷沢正右衛門と言う人が、領主に上願し、その結果願いが「叶」って解決したそうです。

 

 以来この地を「叶」ったことと、谷沢の姓をとって「叶谷」(かのうや)と呼ぶようになったとか。そして正右衛門の住んでいた所は、「谷沢」の小字名となって残っています。

 

 その後、源義経のあとを追った熊井太郎が奥州平泉への苦行途中、この地を訪れ、地名の由来を聞いたそうです。それで主君義経の願いが叶うようにと、熊野神社に多くの砂金を献上し祈願しました。

 

 熊井太郎が去った後、この地の人々は守護神として祭り、献上金の多くを熊野神社の西方に埋蔵し金塚と呼んだとか。しかし、盗掘をさけるため埋蔵金の話は、密かに語り継がれたそうです。

 

広報かわち 2007年1月号より

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