むかし昔、天王原から眺められる宇都宮丘陵の高館山や笠松山を中心とする地域に、蔵宗・蔵安兄弟を頭領として群盗が終結し、千人党をつくり朝廷や国府へ納める年貢を奪っていたとか。そこで群盗討伐の大将に朝廷から藤原利仁が選ばれた。武勇と智謀にすぐれた利仁は、部下の精選だけでは勝ち難いと思い、自ら鞍馬寺の毘沙門天に加護を祈願した。
零示を受けた利仁は軍を率いて下野国に進発。高座山(高館山)の麓田原卿に到着したのは6月15日だったとか。陣を張った利仁は、あることを思い「かんじき」を多数作らせた。そして腹心の武士を呼び「雪は降りそうか」と聞いた。利仁の思うところを察っせられなかった郎従は、腹の中で「夏に雪が降るか」と思いつつ「空は晴れています」と答えた。それを聞いて怒った利仁は、部下にその者を斬らさせてしまった。しばらくして利仁は他の勇士を呼んで同じことを聞くと、前者のこともあるので心を偽って「雪は降りそうです」と言った。利仁は満足げにうなずいた。でも全軍の誰も雪が降るとは思わなかった。
ところが夜半になって雪雲が四方より集まり、大雪が降り積ったのだった。 次号へ続く
広報かわち 2006年2月号より
天王原のはなし(2)
翌朝、利仁が陣を張っていた田原郷。現在の天王原も雪におおわれ、遠く望む高館山や笠松山も真っ白になっていた。利仁は、「かんじき」を全員に履かせ攻めさせた。対する中腹の蔵宗・蔵安勢は、寒さと空腹に耐えかね次々と降伏した。笠松山東側の砦もたちまち攻め登られ破却された。しかし高館山頂上の砦は急峻な地形と大岩のため攻略出来なかった。そこで利仁は、ニワトリの尾に杉の葉を縛り火を付けて山頂に追い放ったとか。人は登れなくても、尾に火の付いたニワトリが次々と砦の中に入ったため、たちまち火災となり、ついには陥落してしまった。
利仁は、陣中で戦勝祈願のため毘沙門天皇像を安置し、そのご加被を祈請した。その地が、藤宮・座王・天王東といった小字名で残り、その地域が天王原と呼ばれるようになったとか。
また、笠松山中腹、逆面の砦跡一帯は、空中都市をほうふつさせ、急峻な高館山も鬼退治伝説を生むほど、大岩が行く手をはばんでいます。
広報かわち 2006年3月号より