通称田原街道の新山田橋から西へ入ると、町の花サギ草の自生地やこんぴら荘があり、その奥に下田原の鎮守(ちんじゅ)琴平神社があります。
今回は、琴平神社境内の奥にある二荒山神社碑を訪ねます。
二荒山は(通称男体山)栃木県の北西部、日光連山の主峰を指し、標高2484mのコニーデ型の火山です。
二荒山の開山は、奈良時代の天応2年(782)。勝道(しょうどう)上人によって登山に成功して以来、信仰の山として人々の尊崇(そんすう)を集めています。
二荒山全体が日光二荒山神社の御神体として大己貴命(おおなむちのみこと)を祀(まつ)っています。
二荒山の信仰圏は栃木県内を中心として、関東地方、山梨、新潟、福島、山形などとされています。
毎年8月1日より7日までの間、二荒山登拝祭によって頂上の奥社に参拝、御来光(ごらいこう)を拝して下山する行事を中心としています。
この碑の前で代参者(代理参拝)が報告したり、この日に登拝できない人々が参拝したりしています。
この二荒山神社碑の銘文は、正面右側から
「明治八乙季」
「二荒山神社」
「十月吉日 講中」
明治8年(1875)で乙亥(きのとい)の干支に当ります。10月吉日に講中の方々によって建立されています。
台座には世話人3名の他、講中の56名が刻まれています。講中は下田原村を中心に上田原村、古新田(古田)、相野沢新田などの地名が見えます。
毎日見る日光の山々への古代から続く信仰の尊さと、周囲の木々の色づきを感じました。
石造 高さ180cm
平成7年(1995)10月20日 第309号掲載