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白沢宿今昔(34) 北野神社の奉納絵画(1)

奉納の絵画

 白沢宿の北よりの入口にあたる九郷半橋の下流、約100mのところに北野神社がある。境内には明治年代まで大木が生い茂っていたが当時の台風で倒れたと言われている。神社の創建年代については、江戸時代初期のようである。学問の神といわれる菅原道真を主祭神とし、英雄の神、また暴風神といわれる素戔嗚尊(すさのおのみこと)を合祀している。

 

 

 

 拝殿には付近の風景を写生したと見られる、奉納額が掲げられてある。参詣している人の姿や、九郷半川で魚とりをしている風景、馬を引いて通る人の姿、その馬の背には荷鞍(にぐら)を表し荷を積んでいる。鬼怒川の帆掛舟(ほかけぶね)の遠望など、素晴らしく見事に描写されている。

 

 この額の奉納者は白沢宿出身の猪瀬藤重氏と言われ、明治36年(1903)9月、猪瀬明山画と記されている。この奉納者や画伯の来歴については次号にのせることとします。

(つづく)

 

昭和59年(1984)10月20日 第177号掲載

白沢宿今昔(35) 北野神社の奉納絵画(2)

北野神社

 白沢宿のはずれにある、学問の神、菅原道真を祀(まつ)る北野神社に奉納された絵画には、明治36年(1903)9月と記され、日露戦争直前のものである。当時の付近の農村風景や鬼怒川の帆掛舟の遠望などが、よく描写されている。

 

 奉納者の猪瀬藤重氏は白沢宿の出身、通称「上の仙台屋」に生まれ、明治時代に若くして大志をいだき、法学を学び後に栄進して裁判所の判事となり、退職後大正年間に没している。従五位、勲六等の叙位叙勲(じょいじょくん)を受けている。この絵はおそらく氏の任官中に奉納したものであろう。猪瀬夫妻が北野神社の参詣をおわり、九郷半橋の板の上を歩いて帰る姿も絵画の一部に描かれている。

 

 画伯の猪瀬明山氏は、明治時代白沢宿出身、通称「中の仙台屋」に生まれ、若きより画の道を志し、勉学に励み将来を期待されましたが、病に恐われ夭折(ようせつ)しました。この画は氏の若い時代の作品であります。郷土の昔の風俗や文化を知る上に貴重な資料となることでありましょう。

 

昭和59年(1984)11月20日 第178号掲載

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