一面に広がる水田の中、水路と緑に彩られた、古くからの農村形態を今に伝える和久(わぐ)。その中心部に専光院(自治会公民館)があります。
専光院境内石仏群の中に、「青面金剛供養塔」があります。江戸時代以来、庚申信仰の主尊として青面金剛は全国に分布し、形態の多様さや地方色の違いなど、バラエティーに富んだ形で、江戸中期まで盛んに造られました。
「庚申さま」という言葉を時々耳にする方も多いでしょう。庚申信仰は今も各地に残り、時代と共に変化していますが、本来は農民を中心に講の形態をとって行われる行事の中で、最も普及したものの一つとされています。庚申の日に行われる祭りで、農神として祀(まつ)る場合が多く、各種のタブーや習俗が伝えられています。
この青面金剛供養塔の銘文は、正面に、
「安永五丙申歳 和久両組」
「(※梵字1)奉青面金剛供養為現當二世安示也」
「十月庚申 (※梵字2)(※梵字3) 講中」
裏面は
安永5年(1776)当時、和久は2つの組で組織されていたと考えられる。青面金剛の種子を冠し、青面金剛に供養を奉げることにより二世(あの世とこの世)が安楽になれる。10月庚申(10月22日)、講中とあります。裏面には、大日如来・随求菩薩(ずいぐぼさつ)の種子がある。
野に点在する石仏などから町の昔が見えて来ます。
河原石 高さ82cm
平成5年(1993)8月20日 第283号掲載
※梵字1
※梵字2
※梵字3