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路傍の神々(18) 大塚の高龗神社

 大塚公民館前の通りを、一本西に入り南に向かうと、豊かな実りの水田の中に、杉木立の美しい河内町指定文化財(史跡)高龗(※お)(たかお)神社古墳があります。その墳丘上に、今回訪ねる高龗(※お)神社があります。

 

 日本は「瑞穂(みずほ)の国」と呼ばれ、我々は古くから稲作を中心とする農耕民族でした。その起源は、縄文時代中期に求めることが考古学の発掘調査などで証明されています。

 

 高龗(※お)神は、古くから雨を司る龍神(りゅうじん)としての信仰があり、高は山や峰などを指し、龗(※お)は雨を司る神とされています。

 

 この地方は山田川を中心に中小の河川が集まり、田川に合流する肥沃(ひよく)な土地として、古くから稲作が行われていたものと地形から見ることができます。

 

地図

 時代とともに技術も向上し、次第に富の集積が行われ、経済力のある豪族が出現して、直径約30mの大きな円墳が築かれたと考えられます。この古墳に眠る地方豪族と高龗(※お)神が結びつき、地域の人々の信仰を集めたと思われます。

 

 墳丘の西側は、明治19年(1886)の旧東北本線の敷設により、封土一部は削り取られています。

 

 現在の祠は、明治37年(1904)旧9月29日に建てられて今日に至っています。

 

 去年は冷夏と長雨、今年は猛暑による水不足で雨の降らない天気が続きました。「多くても少なくても困る水」雨を司る龍神に豊作を祈りました。

 

 石造 高さ160cm

 

平成6年(1994)9月20日 第296号掲載

※お

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