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ふるさと探訪(21) 姨捨と山神(1)

先祖の供養に用いた庚申様の掛軸

 昔、この土地に悪いお殿様がおりました。あるとき「このように年寄りが多くては仕事も出来ない上に、米のむだ食いとなり、年貢米も納まらないから、年寄りを村はずれの山林の中に捨てるよう」とのお触を出しました。

 

 下ケ橋(さげはし)村の人たちも、厳しい殿様の命令ですから、やむなくこの命令を守らねばなりませんでした。ひそかに、年寄りの最後の姿を見とどけようとする人もありました。そして12月26日が最後に亡くなった年寄りの命日となりました。

 

 

 

 村人たちが相談の結果、この日を祭礼日として無情な殿様の計らいで、はかない運命をたどった先祖の霊を末永く弔(とむら)うべく、村内に庚申(こうしん)様を主神とする山神様を祀(まつ)ったという郷土の伝説の一コマがあります。

 

 世にも哀れな年寄りを見捨てた話ではないでしょうか。また田原地区に寂しい山合いの沢があり、現在でも「ばんがいり」と呼ばれる地名がありますが、この地は昔、おばを捨てて帰るという言葉がなまってこのような所になったものだそうで、郷土にも姨捨山の伝説があったことになります。

(つづく)

 

昭和53年(1978)5月20日 第100号掲載

ふるさと探訪(22) 姨捨と山神(2)

下ヶ橋から岡本駅前に遷された山神様

 時は移り世は変わり、人々から姨捨や山神の由来もすっかり忘れ去られ、文明開化の明治の世、蒸気機関車の走る時代となり、東北本線の開通とともに郷土にも明治24年(1891)9月1日古田駅が設けられましたが、数年たらずで閉鎖、岡本駅通過に路線の変更を見ました。

 

 古老の話によると、当時駅の周辺は人里遠く離れキツネ・ノウサギ・ヤマドリの住む林であったとか。長峰出身で、旧古田駅前で売店をやっていた池田さんが、岡本駅前転居第一号として住み、その後だんだんと軒を並べ街並ができ上がりました。

 

 

 

 敬神崇祖の盛んな大正時代、駅前にも神社を祀ることに決めましたが、許可になりませんでした。そこで地区の長老の一案によって下ケ橋(さげはし)には高尾神社・鳴神・山神など三つの社があることから、駅前に一つ奉遷(ほうせん)の交渉をしてはどうかとの結果、一部地区の人の反対はあったが山神を護り受けることになり、大正末期の晩秋、草木も眠る丑の刻にかがり火をたき厳(おごそ)かに遷したということです。

 

 下ケ橋にあげた謝礼は当時の金で十円の包金とか。現在、岡本駅前にある山神はこのような由来をもっています。駅前に戦前から住む数人の方にゆかりを尋ねてみましたが、だれひとりわかりませんでした。

(つづく)

 

昭和53年(1978)6月20日 第101号掲載

ふるさと探訪(23) 姨捨と山神(3)

 「おばあさん、おばあさん、今夜は本当によい月が出ておりますね。あの丘に行って月見をしようではありませんか。」

 

 老婆は、若者に背負われてススキの咲く丘に登りました。

 

 姨捨の話は、全国的にあったらしく、生産性の乏しい農村で不要になった老人を裏山へ捨てる残酷(ざんこく)な習慣を示すもので、現代社会に何かを問いかけています。

 

 

 

 郷土の田原地区の姨捨の地は田原街道から道路を入ったあたりを「ばんがいり」と呼び、小字名は「姥ヶ入」と書きます。以前は、付近一帯山あいの寂しい湿地帯で、一面サギソウが生い茂っていたそうでここが伝説の姨捨の地となっています。

 

 そこで近くに住む斉藤武男さんに尋ねてみました。斉藤さんの先祖は江戸時代、田原郷村取締役庄屋でした。「姨捨伝説の地として古くから伝えられていたようですが、記録は何もありません。前方の婆々山と木茂山の頂上と姥ヶ入の山すそに塚がそれぞれ一つあります。この塚が姨捨と関係があるのではないでしょうか。」

 

 このあたりから、縄文土器や土師器(はじき)が出土するとのことでした。

(つづく)

 

昭和53年(1978)7月20日 第102号掲載

ふるさと探訪(24) 姨捨と山神(4)

下田原にある山神

 ◎姨捨ての考えは、今でも町内に生きていた

 

 この春、老人クラブの花見会がこんぴら荘で開かれた。当日になって農事の手伝いとかで数名の方が急に欠席された。席上「明日をも知れない老人のために、半日ぐらいなんとかならなかったものか。それとも死ぬまで使うつもりなのか、今でも姨捨の考えは町内に生きている」と言う結になった。若い方のご意見もお聞きしたい。

 

 ◎山岳宗教と山神

 

 人間は古くから、山を神秘的な場所とみて山に対する敬神の念があつかった。さらに庶民は山に神仏の霊が存在すると考え山への信仰心を抱くようになった。山神は山を支配し、守護する神のことで山岳崇拝から進化したもので、大山祇神(おおやまずみのかみ)が代表的な存在である。町内にも山神を祀(まつ)る地区をいくつか見ることができる。

 

 古来、一家の主婦がこの神を祀ったので、転じて夫がふざけて妻を呼ぶようにもなった。

 

昭和53年(1978)8月20日 第103号掲載

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