御不動様
修験者(しゅげんじゃ)と言われても、現在の若い人達にはイメージすらも浮かばないと思いますが、一時代前までは山伏(やまぶし)とも呼ばれていました。山伏姿のイメージは、歌舞伎に出てくる弁慶の姿です。あの姿は実際の修験者を、舞台映えのするようにアレンジしたものです。修業中の姿は実に質素で、険阻(けんそ)な山中の修行本位に考えられています。
数年前のNHKの放送で、比叡山の千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)を放送したことがありましたが、比叡山中を約3年間走り回り、断食(だんじき)や山籠(やまごも)りをしながら読経三昧(どきょうざんまい)にふけり、千日目には衰弱も極に達し、支えられながら歩む姿が映し出された事がありましたが、山伏の修業そのものであったとも考えられます。実にすさまじい修業と感じました。山伏も仏に仕える身であり、高野山や比叡山で行われている密教の信者です。修験道には高野山系三宝院流と比叡山系聖護院流と称されるものがありました。
中岡本字西町(台岡本地内)の岡本光月氏宅は、比叡山系聖護院流の修験者を先祖に持つ家です。同家には不動堂が残され祀(まつ)られています。
平成元年(1989)10月20日 第237号掲載
岡本あれこれ(15) 岡本の修験者(2)
印可状(岡本茂氏所蔵)
修験道の修業は非常に厳格で、強力な意志と体力、更(さら)に鋭敏な直感力あるいは優れた英知とを兼ね備えた人柄であることが必要のように思われます。並々ならぬ苦難を克服して真の行者となれるのだそうです。従って長い努力を重ねた末に、次のような印信許可(印可状)をいただくことを許されます。その中の一つが岡本家に残されています。
熊野三山検校(朱印)
金らん地結袈裟之事
被免許之皆依
聖護院宮御気色也執達如件
嘉永2年3月2日
法印祐文 花押
法印源乙 花押
法眼源良 花押
野州河内郡岡本村
山王社別当
山王寺常安
裏書には、
依霞令裏書者也
不動院
頼圓 花押
修験者として相当高位の印可状でしょう。嘉永2年(1849)3月2日のものです。
裏書の不動院頼圓は、埼玉県幸手市の不動院別当だそうです。
平成元年(1989)11月20日 第238号掲載