旧部由来の一向寺
中岡本には旧部(きゅうぶ)(給部)と云う小字名として残っています。
これは、宇都宮市西原二丁目の一向寺の歴史と深い関係のある地名なのです。弘安3庚辰年(1280)に開基され、近江国(おうみのくに)(滋賀県)坂田郡の蓮華寺末・清照山一向寺と称し、御朱印高は5石でした。現在の塙田附近にその土地があったそうです。この他に、恐らく宇都宮景綱より寄進されたと考えられる田4町歩(4ha)があります。この田が中岡本給分地内にあるもので、一向寺には寄進を示す古文書が現存しています。
一向寺領
岡本郷内給分并
西方大和田
半分諸役等事
右於干諸公事者所奉免
除也仍免状如件
応永18年12月8日 持綱花押
一向寺普阿上人
「右、諸公事においては免除し奉るところなり、仍て免状くだんのごとし、応永18年(1411)」土地の面積は後年の文書によって知ることができました。
岡本郷の給部に関係する土地一帯を旧部(給部)と呼ぶようになったものです。給分4町歩の年貢は、その産量の半分を一向寺に納めました。
平成4年(1992)1月20日 第264号掲載