「明治38年(1905)2月15日午後10時ごろ、白沢宿上組中央付近より出火、折り悪しく北西の風強く、火の手盛んにあがり、消防団防ぐに方法なし。僅か2時間余りのうちに、上組東側より南に、下組は西側に至るまで母屋全焼32棟、物置などあわせると78棟を数える。焼跡の様子は、実に涙なしでは語れない情景となりました。」
消防作業中、風強く火の粉飛び散り、またたく間に隣り近所に類焼、体はふるえあがり農馬は火を見て恐れ、馬小屋の中に立ちすくみ寝巻などで目かくしをし、尻を押しながら引き出すのが精いっぱいだったとのことでした。
また、白沢宿は江戸時代より杉皮やわらぶき屋根が軒(のき)を接し、いざ火災となると隣り近所の類焼はまぬがれない状況にありましたので、常時、火の用心を第一としました。
この大火も日露戦争の真っ最中のため、世間の話題にはならなかったそうです。
昭和63年(1988)1月20日 第216号掲載