東下ケ橋(さげはし)の中心部から東へ向かい、鬼怒川の堤防が見える辺り、宇都宮市水道局の白沢水源第7号水源補助井戸から少し西へ入った小高い墓地の奥に、今回訪ねる東下ケ橋の十王堂があります。
地元の方は「ジヤサマ」と呼んでいます。現在の御堂は、明治38年(1905)1月13日に、上棟式と入佛供養を行った芳名板が残っています。平成6年(1994)に、屋根と外壁を修理しています。
十王は冥府(めいふ)(死後の世界)で亡者の罪状の軽重を決める裁判官の総称です。
亡者は初7日から77日までの毎7日、100ヵ日、1周忌、3回忌にそれぞれ生前の裁(さば)きを各王庁で受け、次の世の生処を定められるとされています。
生前、十王に供養していると死後の裁判を軽くすると考えられており、この思想が庶民信仰を集めた、大きな要因であるとされています。
十王、忌日、本地佛の関係は次のとおりです。
忌 日 十 王 本地佛
初7日 秦広王 不動明王
27日 初江王 釈迦如来
37日 宋帝王 文殊菩薩
47日 五官王 普賢菩薩
57日 閻魔王 地蔵菩薩
67日 変成王 弥勒菩薩
77日 太山王 薬師如来
100日 平等王 観音菩薩
1周忌 都市王 勢至菩薩
3回忌 五道転輪王 阿弥陀如来
この十王堂の場合は、向って右側から順に並んでいます。
木心乾漆造 高さ93cm
平成7年(1995)3月20日 第302号掲載
路傍の神々(25) 東下ケ橋の十王堂(その二)
奪衣婆
田植えの準備も進み、水田に春の躍動を感じながら、前回に続き、今回も東下ケ橋(さげはし)の十王堂を訪ねます。
堂の中央に安置されている閻魔王は、玉眼の手法を用いていたことが、頭部の内側に釘が残っていることから推測できます。
本像は木彫りの本体を造り、麻布や紙を貼り重ねながら木屑漆(きくずうるし)で整形する技術で「木心乾漆像(かんしつぞう)」と呼びます。特に頭部は木心を使用せず、張り子で整形されているのが特徴です。
堂内には、亡者の生前における善悪を量るための天秤(てんびん)(業の秤)や赤鬼の残闕(ざんけつ)などの他に、地元で葬式の時に棺の魔除けに使用する「ガンガジメ」と呼ぶ龍頭が1組7個あります。
堂内には十王の他、奪衣婆(だつえば)があります。奪衣婆は、三途の川辺で立膝をして、口を開き忿怒相(ふんぬそう)をしています。罪のある亡者はもちろん、一般の死者でも、三途の川を渡るときは恐々として、奪衣婆の前では衣服を奪われ、全裸のままで平伏しなければならないとされています。
製作年代については、江戸時代中期以後と推定できます。鬼怒川沿岸には十王堂が多数あり、下岡本笛ノ目の十王堂(現在木像一躰)、高根沢町中阿久津(石像十躰)、氏家町堂原地蔵堂などが、近隣では確認できます。
特に堂原地蔵堂の閻魔王像は形式、大きさなど東下ケ橋のものと共通するものがあり、今後の研究によっては製作年代も判明するでしょう。
ふるさとの歴史を研究していますと、近隣の町も細かく知ることになり、新しい事実に出逢うことも多くあります。
奪衣婆(木心乾漆像) 38cm
平成7年(1995)4月20日 第303号掲載