空に七彩(なないろ)の橋が渡る雨上がり、緑輝き夏が来ます。河内町役場から白沢宿に向かい程無く、街道に面した所に今回訪ねる勝善神があります。
勝善神は蒼前神(そうぜんしん)・馬力神とも呼ばれ、仏教系の馬頭観世音と同じで神道系の呼び方をいいます。東北地方から栃木・茨城県などで盛んに信仰されています。
栃木県内では、矢板市玉田に鎮座する生駒神社は通称勝善様と呼ばれ玉田講などの代参講が組織されています。
勝善神の造立は江戸時代後期から明治・大正時代に最盛期を迎えます。
白沢南の勝善神の銘文は
正面に
「勝善神」
裏面には、
「大正十年十一月一八日」
「古里村北部組合」
「敷地献納者 鳩山留吉」
「寄附者 日光製紙株式會社」
「宇都宮市 菊地運送店」
「 〃 伊藤出張所」
「下野銀行白沢出張所 岡本國平」
「岡本駅前猪瀬吉之助」他四名
「馬車組合員 蹄 東野忠助」
「長谷川熊吉」他二十七名
「宇都宮市西原町 陸軍御用達塚原徳蔵」
「発起人世話人 八名」とあります。
大正10年(1921)で最早(もはや)、奥州街道白沢宿の活気もなくなり、馬は交通手段の中でも自動車に変わる過渡期で、時代の要求から軍用にも徴用されて行きます。
銘文からは、工業の中心が日光製紙株式會社であり、多くの物資を馬で運送し、往来したでしょう。白沢に下野銀行白沢出張所があったこと、蹄鉄師(ていてつし)の東野忠助さんの名前も見えます。
それぞれの思いが、石に刻まれ時を越え語りかけてくれます。
石造 高さ 227cm
平成12年(2000)7月20日 第366号掲載