白沢台地から採集した石器
白沢台地は町役場周辺を中心として、北は白沢小学校、南は岡本台地、西は稚ヶ坂方面にわたり、関東地方に分布する関東ローム層(岡本段丘礫層(れきそう))となっています。ロームとは砂・粘土が等分に含まれている風化堆積(たいせき)物です。
郷土にも古くから人が住みついたのは、山田川流域西岸の逆面(さかづら)・立伏(りゅうぶく)・叶谷・西組などの丘陵地のふもと、古里地区では岡本郷と呼ばれた下ヶ橋-下岡本沖積低地(ちゅうせきていち)の湧水周辺や台地と考えられます。
原始時代の人たちは、石を割ったり(打製石器)、磨いたり(磨製石器)して道具として使っていました。
これらを「石器」と呼び、石斧(せきふ)・石鏃(せきぞく)などが白沢台地の畑の中から時折発見されることがあります。これらは原始人たちの遺物と考えられます。
また石割塚・和尚塚・姫塚などの地名も伝承されていることから古代・中世の足跡もあります。
白沢台地には、現在たくさんの住宅がありますが、大正10年(1921)4月に白沢小学校が現在地に建設されてからその周辺に次第に家ができました。
昭和57年(1982)6月20日 第149号掲載