ゆかりの打掛(明星院蔵)
徳川15代将軍慶喜は大政奉還(たいせいほうかん)をしましたが、幕臣の中には江戸、上野の森に彰義隊(しょうぎたい)を組織して敗れ、奥州諸大名の家族は国元さして逃れて行きました。
たまたま途中、白沢宿の某旅籠(はたご)に宿泊した一団がありました。その中にあった某大名のお姫さまは、持病と旅の疲れから、看病のかいもなく帰らぬ人となりました。遺体には形見の打掛がかけられ供養されました。旅籠にはお礼として遺品の打掛がおくられ奥州へ旅立ちました。
噂の程はわかりませんが、その後、遺品となった打掛には、毎夜お姫さまのお姿があらわれたとか。
また、この打掛には異説もあり、会津戦争に従軍した兵士が家老屋敷に侵入、「この打掛だけはお持ちなさるな。」と拝むその手をふり切り、ぶんどり品として郷里に帰る途中、宿料がわりにおいたものとも言われています。
その後某家から、この打掛は明星院に寄進され、現在、寺の秘宝となっております。
この打掛は、絹地に松と鶴亀の模様刺繍(ししゅう)がほどこされてあります。
昭和61年(1986)2月20日 第193号掲載