東海神社(東岡本)
菊地孝兵衛は、文化11年(1814)申戌正月、江戸に商業を開く。祖先が長四郎と称したので、商業方面には佐野屋長四郎と称した。宇都宮では士分に取立られたので、菊地孝兵衛と称す。嘉永6年(1853)5月17日没。其子介司孝兵衛を嗣ぐ。文久2年(1862)壬戌8月8日病没。
安政2年(1855)11月27日、藩主岡本新田に枉駕(おうが)せられ、謁(えつ)を孝兵衛に賜いて開墾事業の成功を賞せらる。依って藩主の駐馬された所へ塚を築き、碑を立て記念とすべき計画中、偶々維新兵馬倥惚の際に方り漸に、延引後に其擧を卒へざりしは遺憾とする処なり
駐馬塚
戸田家御家老
間瀬和三郎殿書
岡本新田字駒留四三三番外数筆ノ田畑ハ其場所ナリ。
平成4年(1992)3月20日 第266号掲載