版木から写したもの
西下ヶ橋(さげはし)集落の南端に地蔵堂がある。ここは昔の養膳寺跡である。養膳寺は沼入山地蔵院と号し、本尊は地蔵菩薩である。
源平合戦の時、源義経が兄頼朝の挙兵を聞き、遠く平泉から兄の許へと馳(は)せ参ずる途中この寺に一泊したと伝えられるが、このように古い寺であった。
養膳寺は明治3年(1870)廃寺となり30年(1897)には堂宇がこわれてしまったので、地区の人々が協議して大正3年(1914)に建てたのが今の地蔵堂であり、中には本尊地蔵菩薩が安置してある。
縁日は正月・6月・10月の各24日で護摩(ごま)修業が行なわれ、参詣者でにぎわった。村内の人だけでなく他村からの参詣人も多かったそうである。
版木は縁日参詣人に渡すお礼をすった安産子育ての祈祷札である。大小二枚あり、大 縦78cm 横25cm、小 縦65cm 横22cmある。
ともに地蔵尊の絵姿と智積院(ちしゃくいん)の祈祷文(きとうもん)が刻まれ、祈祷文には次のような内容のものがしるされている。
経に云う若し未来世中に新産の者あり、或は男或は女七日に早く菩薩名を念ずれば万遍に満すべし。是の新生子殃あり便に報いて、解脱を得、安楽にして養い易く寿命増長す。若し是れ福生者を承て安楽と寿命を増転す。
(智積権僧正頼如)
本県地蔵信仰に関する資料として貴重なものであり、江戸末期のものである。二枚とも昭和47年(1972)11月栃木県の文化財(民俗資料)として指定された。