白沢小学校から田原方面に向かい、平地林の緑のトンネルを抜けると長峰の集落があります。公民館や消防器具置場などのある交差点の一隅に今回訪ねる長峰の石仏群があります。
河内町でも長峰・古田・相野沢と続くこの地区は、江戸時代初期から中期にかけて行われた新田開発の景観を今に伝えています。
長峰の石仏群は合計九基の石仏があります。家畜、特に馬に対する信仰の勝善神が三基、如意輪観音が二基、地蔵菩薩が二基、像容不明の石仏残欠が二基現存しています。
さて、各地に破壊されたり破損した石仏がありますが、これは慶応4年(1868)3月17日の太政官布告の神仏判然令により、それまでの神仏混合の宗教界を神仏分離とした。これを景気として廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)運動が全国に吹き荒れました。仏像・仏具は破壊されるか焼却され、寺院の廃止も行われました。
この廃仏毀釈によって長峰の石仏群も被害を受けました。石仏群に向かって左から三つ目の地蔵菩薩には「安永□□」とあり、安永年間(1772〜80)で、この頃には長峰の集落が存在していたと思われます。
時代は変っても神仏に対する尊い祈りの心を大切にしている地元の方々に感謝をしながら、長峰を後にしました。
平成8年(1996)5月20日 第316号掲載