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ふるさと探訪(7) 養膳寺と泣き石

 前号で下ケ橋(さげはし)の養膳寺に源義経一行が投宿したことについてお話しをしましたが、この寺にはなおつぎのような伝説があります。

 

 この古いお寺も江戸時代中期になって、時の流れとともに空き寺となりました。弘化年間(1844〜48)にいたり、武蔵国杉戸宿あたりに住んでいた川島浄瑜という僧侶が参り、大いに檀家から寄進(きしん)を受け、住職となってから寺は前にもまして盛んになったとのことでした。

 

 浄瑜師が亡くなってから後、明治中期にいたって廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の影響もあり、お堂はもちろん、門・塀その他寺に付属するものは残らず毀(こわ)されたり売り払われたりして、水田となりました。

 

 しかし、古くから境内に長持大の石がありましたが、動かすことができず、そのままにしておきました。廃寺となってからは石の面全体に水を流したように湿気をおび、どんな夏の盛りにも露気があったそうです。

 

 古老の話しによると、昔空き寺となったときも、このように泣きどおしであったとのことで浄瑜師、復興後はなんの異状もなかったそうです。

 

 これを「養膳寺の泣き石」と言います。

(明治年間・国民新聞社発行の奇聞全集から取材)

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