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岡本あれこれ(44) 駐馬塚碑隠記(1)

 菊地孝兵衛知良宇都宮治下人也性忠厚為本藩しば有功知良没其子孝兵衛教中欲継テ父而立功慨然以為封境之内多荒蕉癈税之地故國用或ハ不給若與發而復テ原税則裨益テ國家且巳之子孫亦頼以得堅基請之テ官伐藩公追懐知良之旧勲更嘉尚教中之志賜以此地及他若テ教中與福島倉之助等考水理別沃瘠安政2年11月17日始興工当時四望浩々荊棘塞路竹樹叢生墾闢極苦辛焉

 

公聴枉駕来賜謁テ教中以慰労之実同年11月27日也今茲堤防巳成阡陌修整居民安堵於是令信緝及是永文二邦寿加藤郁之助則久久保田市右衛門政寿等使量度田圃撰定税額税勤従薄焉教中等感其仁思就公馬之駐處築塚建石植以松樹比召伯之甘棠余好其志記概畧云

 

安政6年巳未3月

宇都宮勘定奉行

懸元吉信緝撰文

菊地教中謹書

駐馬塚之碑陰記解読文

 

 菊地孝兵衛知良ハ宇都宮治下ノ人ナリ。性忠厚ニシテ本藩ノ為ニしば々功有リ。知良没シ、其ノ子孝兵衛教中父ヲ継ガント欲シ、功ヲ立テ慨然トシテ封境之内多ク荒無癈税之地ヲ為スヲ以ッテノ故ニ国用或ハ不給ハ若シ発ヲ興へて原税ヲ復シ則チ国家ヲ裨益シ且己之孫亦頼リテ以テ賢基ヲ得トス。

 

平成4年(1992)4月20日 第267号掲載

岡本あれこれ(45) 駐馬塚碑隠記(2)

 之ヲ官ニ請ス。我ガ藩公ハ知良ノ舊勲ヲ追懐シ更ニ教中ノ志ヲ嘉尚シ、コノ地及ビ他若干ヲ以テ教中ニ賜ヒ、福島倉之助等ト與ニ水理ヲ考ヘ沃瘠ヲ別チ、安政2年(1855)11月17日、始メテ工ヲ興ス。當時四望浩々荊棘塞路竹樹叢生ス。墾闢苦辛ヲ極ム。公之ヲ聴シ枉駕シ来リ、謁ヲ教中ニ賜ヘ慰労之実ヲ以テス。同年11月27日ナリ。今茲ニ堤防己ニ成リ、阡陌ヲ修整シ、居民安堵ス。是ニ於テ信緝永文次郎邦寿、加藤郁之助則久、久保田市衛門政寿等ニ令シ、量度ヲ使ヒ、田圃ヲ撰定シ、税額税勤ヲ藩ニ従ハシム。教中等其ノ仁思ヲ感ジ、公馬之駐セシ所ニ就テ塚ヲ築キ、石ヲ建テ、植ルニ松樹ヲ以テス。「召伯之甘棠」ニ比シ余有ノ志ヲ好トシ、概略ヲ記シテ云フ。

 

 安政6年(1859)巳未3月

宇都宮勘定奉行  懸之吉信緝撰文

 戌午余月  菊地教中謹書

 

平成4年(1992)5月20日 第268号掲載

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