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白沢宿今昔(44) きのこ狩りの名所

きのこ研究家 秋山武一氏画

 白沢宿の東、奥州街道沿いの東西鬼怒川にはさまれた広い地帯は昔、一面の河原で赤松林となっていました。

 

 しかし、三本杉付近は江戸時代すでに開墾(かいこん)され、水車小屋もあったそうです。このあたりは昔からハツタケの産地で、秋には誰でも手にとるように採取できました。

 

 江戸時代には、白沢宿を旅し休む人達の食前に供(きょう)せられ、風味のよさに舌鼓(したづつみ)を打ったといわれています。

 

 大正時代の頃、白沢小学校の全校生によるきのこ狩りなどは、学校行事の一つともなっており大収穫をあげました。この時鬼怒川べりで、故郷間儀一郎先生のナマズのつかみ取りの妙技などを見学したのも、筆者の小学生の頃でした。

 

 毎年、秋になると夜の明けないうちに、宇都宮方面から提灯(ちょうちん)をつけ、小歌まじりにハケゴをさげた自転車が、たくさん通り夜明けを持って松林の中に入るのも、白沢宿の風物詩の一つでもありました。大正時代末頃より松林の中に人家が建つようになり、開墾がすすめられ、きのこの出る所も年々少なくなり、戦後、全くハツタケの発生はなくなり当時を知る人の思い出話となりました。

 

昭和60年(1985)8月20日 第187号掲載

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