うつされた与作稲荷跡地に建てられた祠
白沢より鬼怒川向こうの、上阿久津に永承5年(1050)与作稲荷が創建されましたが、鬼怒川に近く、しばしば洪水のため、境内も崩れ社(やしろ)も危うくなった。そこで対岸の安全な丘(現在の通称、三本杉)に移されました。いつの時代に移されたかはつまびらかではないが、江戸時代になり奥州街道筋として稲荷の側に三本の杉の大木がそびえかなり遠くからでも見え、奥州諸大名の参勤交代の行列や旅人たちが、白沢宿も間近との目標となっていたことなどから想像して、当地に移されたのは中世ではなかろうか。
与作稲荷とは、その土地を開墾(かいこん)した者に豊作を与えるという縁起のよい神だったので地元はもちろん、旅人たちの篤(あつ)い信仰を受け、豊作・商売繁盛・厄除けなどに霊験(れいげん)がありました。
数百年間祀(まつ)られてあったと見られる白沢はずれの三本杉の稲荷も、あまりに御利益(ごりやく)のあるところから、上阿久津の人たちが、地元の東円寺の住職とはかり、嘉永3年(1850)創建当所の地に戻しました。
昭和60年(1985)7月20日 第186号掲載