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ふるさと探訪(29) 天祭(5)

旧部の天棚彫刻の一部

いまはなき旧部の祭り

 

 戦前、中岡本地区の国道4号線沿いに旧部と呼ばれる地区がありました。給部・久部とも書かれ、年代によって変わったものと考えられます。

 

 戦争中、当地の大政翼賛会の指導的立場にあった杉本直一郎さんの地区整理の提唱によって申内に統合され、旧部の名は消え去りました。

 

 

 

 この旧部には古くから天祭の行事があり、話によると江戸時代の元禄年間(1688〜1704)、この地に住む農家13軒の米麦の浄財によって天棚が造られ、その彫刻も見事なもので昇り竜・降り竜、雌雄の唐獅子(からじし)、十二支、三猿、牡丹など、見事なものでしたが、数年前もう天祭の行事は永久にやれないだろうとの理由で、これら彫刻は20軒前後の希望者に配布され、日天・月天の掛軸と関係書類は当地の元庄屋、玉生家に保管されることになったものです。

 

 この行事は相談によって8月中に3日間行なわれ、御行様と呼ばれる司祭者は品行方正な高齢者の中から男二人が選ばれ、内川に注連縄をはり斎戒沐浴(さいかいもくよく)してあたり、信者は 褌(ふんどし) などの裸姿で御来迎(ごらいこう)の行があり、三日三晩ごちそうの食べ放題だそうです。

(つづく)

 

昭和54年(1979)1月20日 第108号掲載

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