美しく豊かな鬼怒川の流れと、彩やかな木々の緑が織り成す「私たちのふるさと河内」、阿久津大橋から南に延(の)びる堤防の終る所に、川の一里塚があります。今回はこの南端に立つ万葉の歌碑を訪ねます。
万葉集は20巻に及ぶ歌集で4500首を収め、前半を奈良時代以前、後半を奈良時代と分けることができ、作者は天皇から庶民に至るまで多彩です。
この万葉の歌碑には、防人(さきもり)の歌が刻まれています。古代、九州北辺警備のため徴発された東国の兵士を防人と呼び、その家族が詠んだ歌を「防人の歌」といいます。
防人の歌碑の銘文は
「国々の防人つどいて船のりて別るを見ればいとも術無し」
河内郡 上丁 神麻続部麻呂
万葉集防人の歌
平成3年11月吉日とあります。
万葉集巻第20、4381番の歌で、諸国の防人が集まり、舟に乗って別れるのを見ると、悲しくてどうしようもない。下野の国河内郡の上丁(かみつよぼろ)(諸国の壮丁の内で上位の者)神麻続部(みわをみべ)島麻呂さんが、詠みました。平成3年(1991)11月吉日、川の一里塚の完成と共に建てられました。
防人は3年交替で、国別に定数があり、装備、往復の食料は自前で、天平2年(730)からは東国に限られるようになって、庶民にとっては大きな負担となっていました。
遠い古代から流れる鬼怒川の水面に、尽きることのない「ふるさとへの情念」を心の支えにして、筑紫地方へ赴 (おもむ)く防人の想いを強く感じました。
高さ84cm 御影石
平成10年(1998)6月20日 第341号掲載