古里中北側の星宮神社
和久(わぐ)自治会の峰に祀(まつ)られている星宮神社は「杤木県神社誌」によると「安土桃山時代に創建され、和久・根古屋(ねごや)・当時の台岡本新田・白沢等一円の総鎮守として、氏子崇敬者も多かったが、奥州街道の開通により、白沢宿駅の繁華(はんか)を極むるに至ったため、この地に移住する者多く、現在は和久・根古屋・台岡本のみとなったが、氏子(うじこ)は昔に変らず、明治35年(1902)の大暴風の際、樹齢数百年にも及ぶ種々の大木は、大部分倒伏し社殿も転覆し破壊された。氏子はすみやかにこれを復旧し明治40年(1907)3月に字河原端の無格社下山神社を合祀(ごうし)し、神徳いよいよ増し現今においては、他町村より参拝者多くを加える」とあります。
「星宮」と称する神社は、県下に170社を数え、更にかつて星宮と称した神社を含めればその数261社にのぼると言われています。
祭神は磐裂神(いわさくしん)・根裂神(ねさくしん)としています。この神社の特徴としては、一つ目は星を信仰とすると考えられますが、星に関係する伝承が少ないこと。
二つ目は虚空蔵(こくうぞう)様と呼ばれ、鰻(うなぎ)の禁忌(きんき)を伴うことが多い。
三つ目としての主祭神については、神話が伴って長い説明を要しますので、次号に述べます。
平成3年(1991)2月20日 第253号掲載
岡本あれこれ(31) 星宮神社(2)
杉木立に囲まれた境内
主祭神である磐裂神(いわさくしん)・根裂神(ねさくしん)は、古事記によれば伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が十挙の剣をもって、火の神である迦具土神(かぐつちのかみ)の首を斬(き)った時、その剣の先についていた血が石にしたたり落ちて生まれた神です。
日光修験(しゅげん)が星宮と本地仏としての虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を携(たずさ)えて、各地に広がったと考えられます。日光・藤原・今市・塩谷・矢板・大田原・小川・鹿沼・宇都宮・高根沢・南那須・烏山・市貝・真岡・益子・壬生・石橋・上三川・栃木・小山・国分寺・南河内・佐野・藤岡などに広まりたいへん信仰されています。
おそらくこれは、五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈願する農民対象に行われた修験者(しゅげんじゃ)の布告の実状を示すものではないでしょうか。農民の真剣な増産への希望にマッチした布教で、人事を尽(つ)くして天命を待つ以外に希望のなかった時代にふさわしいものです。また、天神地祇(てんしんちぎ)で、田畑の豊穣を神に頼らなければならなかった農民の心を思う時、過去の事とはいえ感慨(かんがい)に耐えない気持ちになります。
平成3年(1991)3月20日 第254号掲載