江戸時代の白沢宿をしのばせる福島県会津大内宿
白沢の地名のおこりについては、確実な証拠も裏付けもなく古くから白沢という地名になったものと考えられますが、いくつかの説があげられます。
一、卯の花咲く沢の説。六月頃になると卯の花が一面、真白に咲きほこることから白沢となったとする説。
二、白旗印の源氏の流れを組む徳川の勢力下にある鬼怒川流域を呼び名とした説。
三、慶長年間、下田原白沢窪より白沢宿本陣宇加地家が明星院とともに当地に移転し、下田原白沢窪から白沢をとり地名とした説。しかし、この説は慶長年間より古い古文書に「岡本の中、字白沢」なる地名が出てくるので疑問が残ります。
四、平安時代、岡本郷の一部にあった白髭神社が創建された説があるので、「白髭さまのある沢」とよばれるようになり後世に白沢になったと言う説。
五、白は美しさを表わすとされていることから、美しい水のある所から白沢となった説。
いずれにしても現在の白沢は、各地に湿地帯が見られ、沢であったことに相違ありません。
昭和57年(1982)4月20日 第147号掲載