緑の風に誘われて河内町役場から旧奥州街道を白沢宿に向かい、坂を下りる辺りまで来ると、右側に白沢地蔵堂があります。今回は境内石仏群の中から地蔵菩薩座像を訪ねます。
「お地蔵さん」は、現在でも子供からお年寄りまで幅広く親しまれている仏様です。
地蔵信仰は、平安時代後期の末法(まっぽう)思想や阿弥陀浄土信仰と共に民間に深く広まりました。地神とも結びつき大地に深く根を張り、地蔵に託(たく)す願望も様々で、安産地蔵、子育地蔵、延命地蔵など各種の地蔵が普及し、江戸時代には地蔵講も組織され一般化しました。
白沢には「稚児ヶ坂(ちがさか)」、「稚児ヶ墓(ちがはか)」という小字名が残っていますが、この地名と深い関係にあるのが白沢地蔵堂です。
言い伝えでは、鎌倉時代初め頃に、奥州へ向かう高貴な方々の一行が当地にさしかかった時、一人の稚児が病気にかかり、此の世の別れとなったそうです。
一行と村人はこの稚児を哀れに思い手厚く供養したそうです。
地蔵堂の境内には稚児の供養塔と思われる古い様式の五輪塔が残っています。
この地蔵菩薩座像の銘文は、背中に刻まれています。
「干時」
「享保十三申星 七月朔日」
「施主 休心」
かかる時、享保13年(1728)戌申です。7月朔日(ついたち)に休心という人によって造立されたと刻まれています。
この像は左手に宝珠(ほうじゅ)、右手に錫杖(しゃくじょう)を持っています。休心さんがどんな思いでこの地蔵を造立したか、知ることもできませんが、素朴な祈りは念仏講によって伝承されています。赤い帽子と涎(よだれ)掛けが印象的でした。
高さ42cm 石造
平成8年(1996)4月20日 第315号掲載