右、白澤宿明星院の供養塔
左、西組藤の城の戦没者芳名碑
今年も平和の祈りと共に8月15日が廻って来ました。昭和20年(1945)から50年を数えます。
戦争の悲惨(ひさん)さと平和の尊さを考えながら、今回は町内の戦没者碑を訪ねます。
田原地区は、自由ヶ丘に隣接する通称藤ノ城招魂社境内に戦没者芳名碑があります。戊辰戦争(1868〜9)以来の田原地区の方々170名が刻まれ、昭和31年(1956)4月15日に建立されました。
古里地区は、白沢宿の明星院境内にあります。以前は白髭神社石段下付近にあり、忠魂碑としてあったものを、GHQ(連合国総司令部)の指導によって移転し、供養塔として現在に至っています。この碑は太平洋戦争(1941〜5)を中心に、古里地区の戦没者の方々176名が自治会別に刻まれています。
昭和23年(1948)9月吉日に、古里村遺族会によって建立されています。
この供養塔と並んで征軍記念碑があります。西南戦争(1877)からシベリア出兵(1918)までに従軍された方々141名が刻まれています。昭和3年(1928)11月に、帝国在郷軍人会古里村分会によって建てられています。
祖国の栄光と恒久(こうきゅう)平和を信じ、戦陣に散華(さんげ)された方々に哀悼の意を表します。
次の世代にも平和で豊かな郷土を引きつぎ、語りつぎたいと思います。
芳名碑 高さ 192cm 石造
供養塔 高さ 300cm 石造
征軍記念碑高さ 225cm 石造
平成7年(1995)8月20日 第307号掲載