「六十年前頃東野は無人の原野でした」
東野夏まつりの様子
表題に抵抗のある方も居る筈ですが、昭和22年頃の東野地区は4~5軒の農家がある丈で、鬱蒼とした林と人丈の草が生い繁る原野だったと聞いています。
当時、国や県の政策で食量増産と農地開放などにより、各地で一斉に開拓事業が行われ、そこに選らばれた人達がそれまで全くの未知同志であったのに、互いに助け合い競い合って、それも殆んど銀杏鍬(いちょうぐわ)と呼ばれる鍬を頼りに開墾し、根っこ起こしや整地作業をそれこそ気の遠くなるような努力を続けながら現在の田畑の形状を作り上げて来たのだと先人達から伺っています。
そのため、自治会の歴史は浅く、心の拠りどころとなるような神社仏閣はありません。
古くは豊年祈願の「風祭り」。
自治会公民館での「演芸会」。
そして近年は、青壮年部を中心にした各種団体が智恵とアイデアを出しながら、「東野夏まつり」と銘打って、模擬店を出したり、輪投げやパン喰い競争、それにお囃しや手品屋さんを頼んで東野自治会の人が一日を全員揃って楽しむことにしています。
無論、お酒やビールで盛りあがり、ケンチン汁や焼きソバを食べながらの団欒は東野自治会の明日への行動力と発展、連帯感に繋がるものと信じますし、今後も更に続いて行くのだと思います。
地域情報紙かわち 第7号
(平成20年5月21日発行)より