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7.稚ヶ坂(ちがさか)第一自治会

桜並木の様子

住民同士の交流

稚ヶ坂という名称は正式町名ではなく、昔から伝えられた地名である。

自治会を構成する正式町名は、白沢町と中岡本町それぞれの一部により成立している。

永い間語り伝えられ親しまれてきた通称地域名が定着し、一般的、社会的地名として使われてきた。

 

約800年前の建久二年、伊沢家景が奥州惣奉行に任命され妻子や家臣を連れ陸奥国へ向かったが、子の菊丸が発病し奥州街道「奥州道中」の稚児ヶ坂(現在の王子板紙㈱日光工場近く)で病状が悪化し亡くなった。

街道脇に葬って供養されたが、里人はこれを哀れみ、誰言うことなく、この坂を稚ヶ坂と呼ぶようになった。

 

今も面影を残す稚ヶ坂に沿う西側歩道には大木となった桜並木がある。

悲話と共に満開の桜並木の景観は住民と通行者の心を癒してくれる、私たちのロマンチックポイントとして大切に保存していかなけばならない。

 

私たちの地区を通る幹線道路は海道町との境界から北に続く白沢街道(県道氏家宇都宮線)を中心に南端が図書館通り、森の中を岡本駅まで通じる散歩道「ふれあい通り」の起点でもある。

それぞれ道を中心に住宅と多様な工場によって形成されている。

生産工場、多様の企業が多く、全体で約六十社が活動している。

中小企業群による河内工業団地、その他先端技術をもつ企業、流通関係企業、紙パルプ板紙生産では日本一「王子板紙㈱」の日光工場等、河内地区の工業のまちでもある。

 

王子板紙㈱日光工場の前身はご存知「高崎製紙」である。

当工場は75年の歴史を持ち、地元の関連企業は深く、ほとんどの住民は高崎日光の関連企業に勤め、正に高崎日光の城下町という関係で地域が発展してきた。

現在は2002年に王子板紙㈱日光工業として新しい時代の近代的工業として発展しようとしている。

 

自治会活動はよりよい人間関係が基本である。

住民同士の友愛、地域内の企業との共存を大切にしながら「安心安全」「明るく楽しい」まちづくりを進めていきたい。

 

地域情報紙かわち 第12号

(平成21年3月19日発行)より

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