一里塚
私たちの地域には「白澤の一里塚 の碑」があります。
奥州街道白澤宿の会では、江戸時代に多くの人たちが利用した一里塚の歴史を構成に伝えるため、会員と地元白沢河原、白沢甲部、白沢南の各自会の皆さんの協力を得て、ここに白澤の一里塚の碑を建立しました。
設置場所は、白沢河原自治会内、奥州街道、鬼怒川と西鬼怒川の間、関東バス白沢河原バス停に隣接しています。
一里塚は旅人が目的地へ到達するまでの目標と、馬や駕籠の賃銭の支払いの目安に、江戸幕府によって慶長9年(1604年)に設置されました。
江戸・日本橋を起点にして奥州街道はじめ五街道の両側に一里毎に設けられた塚は、一般に9メートル四方で、この上に榎が植えられました。
これは、一里塚であることの目的と旅人の日除けの役割を果たしました。
古文書には、白澤の一里塚は日本橋から30番目で、かつては鬼怒川の河原にあったため、たびたび洪水で壊れてしまったと記されています。
近年、白澤七福神めぐりに県内外よりウォーキングを楽しむ方が増えています。
皆さんも是非「白澤七福神めぐり」に合わせて、白沢の一里塚にお立ち寄りください。
地域情報紙かわち 第15号
(平成21年9月発行)より
(平成21年9月発行)より