昭和25年と43年に組み立て、その後組み立ては行われていませんでした。
平成24年10月28日【44年ぶり天棚を復元】しました。
江戸時代の庄屋渡辺家の御用日記によると、当地の琴平神社の祭礼の付属的な行事として、神仏の広場で数年置きに若者衆の祭りが文化年間(1804~1818)から宇都宮藩の許可を得て行われたようです。
一般に農村の祭りは五穀豊穣を祈願するものが多いが、下組の天祭は村人の安全すなわち自然災害の防止と無病息災を祈願するために行われました。
天棚の2階には「天照皇大神」の掛軸と御神体の鏡を供え、ほかに八十八の神を祭ります。
また周囲の彫刻は見事なもので、これらの材料については村内に繁茂(はんち)した柳の大木で製作したと伝えられ、現在でも大柳の地名が残っています。
河内ふるさと探訪より
下組には文化文政年間の頃の天棚がありましたが、痛みがひどく江戸時代末期か明治の初めに新しく作り変えられました。
平成5年に行われた彫刻等の調査で、「天狗の面」の裏面に「慶応三年十一月」(1867)の墨書がみつかり、新しい天棚製作年と見られています。