鎌倉時代、奥州総奉行に任じられた伊沢家景(いざわいえかげ)の子どもが1191(建久2)年、稚児坂で転んで怪我(けが)をして亡くなりました。
子供の亡(な)き骸(がら)を上岡本村(現在の白沢南)の外れに葬(ほうむ)り、供養塔(くようとう)を建てました。
村人達はそこに地蔵堂を建て800余年も過ぎた今でも毎月24日念仏供養が行われています。
境内には明治時代の廃仏希釈(はいぶつきしゃく)の痕跡を残す首なし地蔵があり、悲しい歴史を伝えています。
縁日は正月24日と8月24日で人形供養も行っています。
稚児ヶ坂(ちごがさか)の墓