文化13(1816)年から文政3(1820)年に現在の鹿沼市で製作された、内輪式漆塗り彫刻屋台です。
鬼板には獅子の蹴落とし、懸魚(げぎょ)には大きな牡丹の彫物がみられ、欄下は波に鯱(しゃち)と水龍、欄間など小桜の技法を高活かした花鳥彫りとなっています。
また脇障子に施された鉄線花(てっせんか)の透かし彫りは、完成度の高さが評価されています。
[平成2年12月6日 市指定]
宇都宮文化財マップより
記録や伝承によると、文政2年(1812)に鹿沼麻苧(あさう)町で作られ、明治6年同町より購入しました。
と同時に初期製作彫物師礒辺初代義(ぎ)兵衛(へえい)の3代目、おなじみの礒辺(いそべ)敬(けい)信(しん)を頼み、2年の歳月をかけさらに豪華な彫物の補刻を行いました。
その部分は白木となっており、容易に見分けることができます。
鹿沼屋台の中でも初期の作で、屋台の始まりとされる踊り屋台の特徴を残し、芸などが行われるときは、両側の脇障子が左右に開き、二本の向拝柱(こうはいばしら)がはずれる珍しい構造になっています。