慶応2(1862)年に製作された、重厚な白木彫刻天棚で市内の中で最も大きいものです。
1・2階とも後部面が前面と同じ唐破風・鬼板と懸魚の彫物で飾られている珍しいものです。
鬼板は波に龍をはじめ唐獅子牡丹など多種多様です。
特に正面障子周りの彫物は、牡丹・桜・孔雀などを彫り上げ、幅3mにも及ぶものです。
[平成23年3月30日市指定]
宇都宮文化財マップより
一般に見られる天棚の大きさは、間口が2-2.5mぐらいが普通ですが、当東下ケ橋の天棚は3.14mで、奥行き、高さとも旧宇都宮地区を含めても最大級であります。
二階後部の羽目(はめ)込み板後面(うしろめん)には、天棚製作に関する世話人、年月、作者などが、明瞭に墨書されており、それによると製作年は文久2年12月(1862)-慶応2年8月(1866)、大工梶倉蔵(かじ くらぞう)、彫物師 礒辺(いそべ)義(ぎ)兵衛(へえ)敬(けい)信(しん)そして野村幸吉(結城住)の銘があります。
一階二階ともに四方を重厚な彫物で飾られており、題材も龍、唐獅子、鶴の巣篭もり、花鳥など多く、特に一階正面の「玉堂(ぎょくどう)富貴(ふうき)の図」と銘文のある大きな彫物は、見ていて圧倒されます。
近隣集落で次々と屋台が作られ、当時道路条件が悪く屋台の引き難かった当地では、それに負けじと大きな天棚が作られたのではないでしょうか。