地元の伝承によると、天保年間(1830~)関東地方で続いた大飢餓の頃より、災害を防ぎ五穀豊穣を祈願して天祭行事が行われきたといわれます。
初めの天棚についてはわかりませんが、現在の天棚は収納箱に「嘉永5年(1852)子七月天棚造之」の墨書があり、この頃作られたことが分かります。
また明治20年天棚修復の記録も明記されています。このときの彩色も行われたと見られ、極彩色の彫物は今も光り輝いています。
彫物の種類も多く、2階柱隠しの昇り龍、降り龍を初め、唐獅子、鳳凰、孔雀、鯱の他、障子の腰には干支が彫られています。
作者は墨書銘に「大工 宇都宮大町 宗七」、「彫物師久我村(鹿沼)政五郎」とあり、政五郎は各地に作品を残す神山政五郎です。
明治20年に修復が行われ「彩色師 宇都宮 岡田又平」「塗師 直井安吉の銘が確認されました。
平成16年11月に組み立てられましたが、現在は解体して倉庫に収蔵されています。