下岡本と言えば、八内八門九堂(やうちやもんここのどう)と呼ばれるように、由緒が古く、町内でも早くから集落のできた所です。
内とつく小字が多く畳内・喜瀬地内・針竹内などがあります。
天棚の由来について、彫刻年代は、寛政年間(1789~1801)頃だそうです。
近在から柳の大木を集め、庄屋五月女家裏の寺屋敷で製作の仕事が進められたが、途中諸事情により、製作も中断されたが、やむなく鬼怒川向こうの板戸でその後の仕上げをなし、当地に運ばれたという話があります。
桐の花に鳳凰、梅、梟のほか多くの彫物で飾られており、彫物師はこれらの特徴から鹿沼の神山政五郎、及び石塚吉明と思われます。
戦後4回ほど天祭行事が行われましたが、昭和54年を最後に今は行われていません。