河内地区の西部、立伏地区の天棚が組み立てられ、久しぶりに「天祭まつり」が行なわれたのは、平成4年8月23日のことで、当時の新聞にも大きく報道されました。
当天棚は記録によりますと文政十一歳(とし)(1828)丑七月四日、彫物師高田伊(い)左(ざ)衛門(えもん)金(かね)重(しげ)・門人石那田、荒牧源次」 とあります。
一般的に天棚の屋根は一階二階ともに唐(から)破風(はふ)です。
当天棚の一階は千鳥破風(はふ)、また鬼板には太陽の彫物があり、ともに大変めずらしい天棚です。
他に龍や花鳥など多くの彫物で飾られています。
彫物師は宝井や上組の天棚を手がけた、上河内免の内の高田伊左衛門金重とその門人であります。
当彫物師は彫物の裏面などに墨書(ぼくしょ)にて多くの詳細な記録を残し、これまでに確認されている作品は12例ありますが、なぜか文政年間に集中しています。
記録によると、その後天保4年に天棚の修復と塗り替えが行われています。