これだけ科学の発達した時代でも、人間の力ではやはり自然災害は防ぎきれないことが、大地震によっても思い知らされます。
ましてや200年も前にあっては、ひたすら神仏に祈るのみでした。
人々は天棚を作り災害の起きぬよう、そして五穀豊穣を太陽や月を中心とする「日天・月天」に供物を供えて祈ったのでした。
当天棚もその一つであります。
地元に残る記録では、昭和19年ころまではほとんど毎年天祭祭りが行われたそうですが、その後組立ても少なくなり、最近では平成20年に組み立てられ、お祭りが行われました。
彫り物裏には
「文政4年巳歳(1822)5月吉日・後藤金(かね)重(しげ)(高田伊左衛門)」
とあり、彫刻天棚として歴史的にも最も古い部類に属し、貴重な天棚と思います。
製作当初彫物は二階のみでしたが、彫物箱の年号などから、その後安政2年(1855)に天棚の改造と、一階部の彫物が補刻されたとみられます。
彫物師名はありませんが、特徴から宇都宮の高田新吾またはその一派と思われます。
彫物の題材は龍、唐獅子を始め松に鷹、ぶどうに木ねずみなど多彩であります。