白澤の一里塚址
一里塚は、旅人が目的地へ到達するまでの目標と馬や駕籠の賃銭の支払いの目安に、江戸幕府によって慶長9年(1604)に設置されました。
江戸・日本橋を起点にして、奥州街道はじめ五街道の両側に一里(4km)毎に設けられました。
塚は一般に9メートル四方で、この上に榎木が植えられ、一里塚であることの目的と旅人の日よけの役目も果たしました。
古文書には、白澤の一里塚は日本橋から30番目で、かつては鬼怒川の河原にあったため、度々の洪水で壊れてしまったと記されています。
奥州街道白澤宿の会で、江戸時代に多くの人たちが利用した一里塚の歴史を後世に伝えるため、会員と地元の白沢河原、白沢甲部、白沢南の各自治会の皆さんの協力を得て、ここに「白澤一里塚址」の碑を建立しました。
平成21年5月23日 奥州街道白澤宿の会
~タイムカプセル21世紀~
開封
2016(平成28)年11月、鬼怒川沿いの川の一里塚(いちりづか)において、25年前に埋めたタイムカプセルの開封と20年後の合併30年記念2036年に開封するタイムカプセルが新たに埋設(まいせつ)されました。
埋設