鬼怒川グリーンパーク白沢のさくら橋より
古文書に
「宝暦四年(1754)小倉外四十七ヶ村逆木用水なるも見えたり。
関係石高右の如し。
一、西鬼怒川田用水旧領四十八ヶ村此高八千五百七十二石9升八合七勺」とあるところを見ると相当古くから重要な用水であった。
明治三十五年(1902)9月の大洪水もすさまじかった。
下ヶ橋で床上二尺、馬の腹に水がついた。
石上の鉄橋(東北線)に水が乗った。
それ以来、川の瀬が変わったが、明治の中頃まで東下ヶ橋への交通は、やはり船で行われていた。
その後、県会議員矢島中(宇都宮)・田代修二郎(矢板市片岡)等が中心となって、関係町村と協力し、逆木用水改修の運動が起こされ、これに関する陳情が県会の取上げるところとなって現在のような逆木用水路が出来た。
河内ふるさと探訪より
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